しばらくコラムをお休みしていました。
建設機械業界も自動車業界同様、大不況に陥っています。
お得意先の3月の稼働日が週一日と物凄い状況になっています。
わが社も月、金を帰休日にして何とか対応しようと必至です。
何となく気持ちが乗らないし、私のパソコンの状態が悪く
動画編集も出来ないこともあり、しばらく更新しませんでした。
でも、「自分に出来ないことで思い悩むのは止めよう」と思い
2月の終わりに初めてサイパンに行ってきました。
グアムへは何度か出かけているのですが、サイパンは初めてなので。
NWA(ノースウエスト航空)のマイレージを一度も使っていなくて
20万マイル以上も貯まっていたのです。マイレージは消化をしたほうが良いと、
NKワールドの中村社長が計画してくれました。
http://www.nanatairiku.co.jp/
成田から3時間。気温5度の東京から30度のサイパンに着きます。
本当に近いのでところです。
最初は「島内半日観光コース」。万歳岬へも行きました。
サイパン島の歴史をネットで調べました。
http://saipan.jfk7.com/basis/history.htm
サイパンの歴史
現在はビーチリゾートとして有名なサイパンですが、
サイパンの歴史についても少し理解しておきましょう。
サイパンを旅行する上で、別に歴史を知らなくても楽しめるかもしれませんが、
知っておいた方がまた違った角度からも旅行を楽しむことができると思います。
はじまりは、紀元前2000年頃、チャモロ民族が
インドネシアやフィリピンからカヌーに乗ってマリアナ諸島に
移住してきたと言われています。
そして、1521年にマゼランが世界一周の航海中にマリアナ諸島を発見しました。
マゼランは当時スペイン国王の援助を受けて航海をしており、
サイパンには多くのスペイン人が来るようになったのです。
その後、1565年にスペインが正式にマリアナ諸島領有を宣言をし、
300年以上にわたるスペイン統治による植民地時代が始まりました。
ちなみに、「マリアナ諸島」は、スペイン皇后マリー・アンヌにより
命名されたものです。
スペインによる統治が進むと、キリスト教布教が盛んになり、
チャモロ民族たちはそれに抵抗を示し、激しい内乱が起きました。
内乱の結果チャモロ民族は激減し、
とうとうグアムへの移住をさせられることとなりました。
1898年にアメリカ-スペイン戦争でスペインが敗れ、
グアムをアメリカに譲渡し、グアムを除くマリアナ諸島をドイツに売却しました。
ここでサイパンのスペイン統治時代は終わり、15年間のドイツ統治に入ります。
1914年に第一次世界大戦が勃発し、赤道以北のドイツ領を日本が占領し、
第一次世界大戦終結後、日本の委任統治が決定しました。
ここから約30年にわたる日本統治時代はじまりました。
3万人近くの日本人(8割は沖縄)が移住し、市民生活を送っていました。
その間、南洋興発株式会社がサイパン、ロタ、テニアンを
アジア最大の製糖産地として発展させ、設立者、松江春次は「シュガーキング」
とも呼ばれ、現在でもサイパンで最も有名な日本人として知られています。
彼の功績を称えて「シュガーキングパーク」も設立されました。
1941年に太平洋戦争が勃発し、日本はグアム島も占領し
サイパンに司令部を設置していました。
開戦当初は快進撃を続けた日本軍でしたが、
アメリカ軍に反撃で徐々に劣勢になってきました。
そして、とうとう1944年、アメリカ軍はサイパン島に上陸を開始し、
日本軍と激戦を展開しました。
アメリカ軍の死者は約1万人、日本軍の死者は約3万人、
生き残ったのは1000人余りという玉砕戦となりました。
さらに多くの民間人も犠牲となり、サイパン島は1ヶ月と経たずに陥落。
さらには、グアム島、ロタ島、テニアン島と次々上陸して日本軍を退けました。
日本への攻撃拠点を手に入れたアメリカ軍は、
グアム島、サイパン島、テニアン島に滑走路を造り、
日本本土を次々に爆撃し、最後には広島と長崎に原子爆弾を投下しました。
ちなみに、原子爆弾はテニアン島から出撃したB29爆撃機によるものです。
1945年8月、日本はポツダムを受諾し戦争は終結。
ミクロネシアの日本領は、国連によりアメリカの信託統治となりました。
そして、1950年にグアムはアメリカ自治属領(準州)となり、
1986年に北マリアナ諸島がアメリカ自治領となりました。
そして現在に至っています。
真っ青な美しい海と空。でも戦争の爪後は今でも残っています。
この島で戦いがあり、日米合わせて何万人も人が死んで行ったことを
思うと厳かな気持ちに自然となります。
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